土日、外出は実家への巡回と買い物のみでした。
金曜の昼に親父から電話があり、「テレビは映ってはいるが画面の真ん中に何か出ている」ということでした。
行ってみると操作ボタンを幾つも押した結果エラーメッセージのようなものでした。
程なく表示は消えて、ついでに食事、親父は晩酌。
どうも薬の作用でかなり大人しくなっている親父。先日はハサミを振り回したり、椅子をブン投げたり「発狂状態」だったのに。
16:00からヘルパーさんの訪問。
自分は入れ替わり退散。(土曜)
スーパーで買い物、実家巡回 (日曜)。
親父はすでに晩酌中。
母が少し食事をするというので、茶碗に玉子かけご飯、なめ茸、白花豆、エビフライ1本。
母がテレビの画面を見ながら「外出自粛」などの文字を読みました。
自分:「中国から来たウイルスだ。」
母:「武漢から。ネズミとか食べていたって。」
日曜はヘルパーさんは昼だけのようです。
自宅へ帰り、新聞のまとめ読み、気になった記事からです。
(⚪は見出し、△は自分のコメントです。)
⚪アニメ業界 労働現場の悲鳴
作品の増えすぎ・長時間・残業未払い…
(4/19 朝日)
アニメ制作の現場に労働基準監督署の是正勧告や国の「働き方改革」が迫り、裁判も持ち上がっているという。作り手の「アニメ愛」と献身でしのぐやり方は破綻寸前という声が上がる。
△訴訟となったのは、昨年6月の映画「海獣の子供」を制作のSTUDIO4℃で制作進行として働いた男性(26)が未払い残業代として約535万円の支払いを求めたものだそうです。
⚪裏方に徹しアニメ売り続けた
「ドラえもん」育ての親・シンエイ動画名誉会長 楠部 三吉郞さん
(4/25 朝日夕刊「惜別」欄)
敏腕アニメーターだった兄の大吉郞さんを支えるべく、営業マンから転身してアニメ業界へ。1976年、兄と共にシンエイ動画を設立。間もなく手掛けたのが79年放送開始の「ドラえもん」。
「ドラえもん」は、73年にアニメ化され、わずか半年で放送終了していた。苦い過去から藤子さんも各テレビ局も再アニメ化に難色を示す。藤子さんを説得するため高畑勲監督に企画書を書いてもらったり、テレビを動かすために無報酬で試作映像を作って営業を繰り広げた。
1年以上かかって再アニメ化が実現したパーティーの席で藤子さんは「ドラえもんを描き続けたアホな作家、ドラえもんを売り続けたアホなセールスマン。2人のアホがいて今日があります。」と挨拶した。
えーと、実家を出るとき、「また明日来る」と言ってしまったため明日も行かなくてはならなくなりました。(昨日もそのパターン)
月曜晩は、実家に泊まってみようかと思います。