18時くらいから小部屋にてテレビ、読書などで過ごしました。
結局22時くらいまで滞在、今晩は自宅のほうへ帰ります。
気になった記事からです。
⚪下町は地獄と化した
四隅狙い焼夷弾 10万人犠牲
(朝日 3/11)
1945(昭和20)年3月10日の午前0時過ぎ、東京大空襲が始まった。……
…日本の空母機動部隊が再起不能となったマリアナ沖海戦(44年6月)などで、日本軍の拠点だったサイパンやグアム島などのマリアナ諸島を占領。日本の南に基地を得たことで、超大型爆撃機B29での日本への往復が可能になった。……
……45年1月3日の名古屋、2月4日の神戸、2月25日の東京、そして3月10日を迎える。
米軍は4月1日の沖縄上陸戦を最重視し、その前にいつ何を行うか、綿密に計画を立てていた。 (空襲研究の第一人者 工藤洋三氏)
……米軍は、4ヶ所の爆撃中心点を定めていた。
① 台東区千束
② 墨田区本所3丁目
③ 江東区の大富橋
下町の四隅に当たるこの4ヶ所を目標に、B29の大編隊で大量の焼夷弾をばらまけば「焼夷区画1号」を焼き払えると計算した。……
昭和19年7月7日、サイパンの日本軍はあえなく玉砕する。サイパン陥落の知らせを聞くと、岸はすぐ首相官邸へと向かった。
「この際、総理を退いて新しく挙国一致内閣を作るべきです!」(「叛骨の宰相 岸信介」より)
この「挙国一致内閣」は、戦争終結へ向けての内閣だったのですが、東条はこれを拒否、最後まで徹底交戦を貫こうとするものの退陣を余儀なくされてしまうのでした。
いろいろな書物を読んでいくと、もし東条が首相に登壇しなければ、とかサイパン陥落前に日米が和平に動いていれば、などいくつかの転換点があったことに気づきます。
歴史というものは、その時々に優れた人物が、然るべき位置にいないと不幸な結果を招くものだとあらためて思うのでした。
MXで再放送中の「仮面ライダー」ですが、山本リンダ、島田陽子の水着回「怪魚人アマゾニア」(第22話) は来週のようです。