諸々雑感 10/31 2019

「かくて昭和史は甦る」(渡部昇一著)を読んでいます。
伊藤博文は、足軽身分からヨーロッパへの留学、後の明治政府の中心人物となりますが、その契機となったのは上司の来原良蔵との出会いだったようです。
・若い頃の伊藤博文は、英国公使館焼き討ち(1862年)や国学者の塙忠宝 (はなわ ただとみ) を暗殺するなど尊皇攘夷の志士だったが留学により考えを変える。
明治新政府には課題が山積していました。植民地にされないための軍隊作り。鉄道や港湾などのインフラ整備。そして外交…。当時の日本の脅威はロシアの南下でした。
ロシアの軍艦が対馬に入港、居座ってしまった事件。
朝鮮との国交が拒絶されたことによる「征韓論」の浮上。
……。
自分の曾祖父が長州藩士だった訳ですが、禁門の変で負傷、杖をついていたと聞かされました。
維新後に多くの留学生がヨーロッパへ渡ったのですが、曾祖父もイギリスへ留学、その時の同期生に東郷平八郎さんがいたそうです。
曾祖父は鉄道技術を学び、東郷さんは海軍の技術を持ち帰ったのだと母に聞きました。

1月の試験を受けないことにしました。
・寄る年波には勝てず、もとから良くない頭がさらに悪くなったため。
・それから今回、試験自体に変更があり、これまでの択一と記述から択一(50問)のみとなったこと。
・受験資格に追加があったりして「どうもこの資格、受験生が減っている…。」
などから今回は様子見です。

気になった記事からです。

有田芳生参議院議員が議会を利用し販促? 河井克行法務大臣の”妻”についての文春記事。
(政治知新さん)
https://seijichishin.com/?p=27673

週刊文春」は立憲民主党など野党側の不祥事についても記事として取り上げるべきです。
この有田芳生週刊文春の関係はどうにかならないものでしょうか。

先の明治維新の話になりますが、国が何とかまとまっていかなければならない時にこんな重箱の隅を突っつき合うような事をしていたでしょうか。
国が危機に瀕しているときに、その足元を掬(すく)おうとしている人々。
立憲民主党反日面々です。

有田某
叩き潰せば
ただの蟻

蟻に失礼なり。