休日日記 10/15

しばらく更新が途絶えてしまいました。

前回日記に残していたのは、親父の入院、そして面会のゴタゴタから担当医師先生との面談まででした。

えーと。

親父ですが、残念ながら回復、入院してほぼ1ヶ月後の9/13頃に退院しました。

医師先生との面談では「入院当初は、予断を許さない状態でしたが奇跡的な回復力です。」と数値を示したデータをプリントアウトしながら説明して頂きました。

自分は、「とにかく怒りやすいので、みんな迷惑しています。」

薬はすでにかなり服用しているので、

担当医師先生「漢方のパッチ(貼り薬)を処方しましょう。」

そして担当医師先生が何回か口にした言葉。

「ぜひ100歳までお元気で…。」

自分「いえいえ、ゾッとしますよ。」

「殺人病院」などとの評もある地域病院ですが、スタッフはしっかりサポートしてくれて何とか乗り越えました。

ちなみに親父にはすでにこの薬が処方されている様子↓

(バルプロ酸Na徐放B錠)

https://medical.nikkeibp.co.jp/inc/all/drugdic/prd/11/1139004G2071.html

 

亡くなった姉が服用し続けた薬を親父も服用することに…。

退院後、ケアマネさんから

「何かお父様変わりました?」

自分:「薬で大人しくなってます。」

 

いちど薬を飲み忘れたことがあり、ケアマネさんから「デイホームで奇声を上げたりして大変でした。」

自分:「くれぐれも薬だけは飲み忘れないように。」

さて9月、10月と自分は会社から有給休暇を取得。かなり疲れていました。

(9/3、9/17、10/1、10/15、11/5)

もっともこの有休は、上席から「有休を必ずとるように!」と言われていたのでした。

 

(10/15の日記)

寒かったので暖房をつけて、先日購入した文庫本を読み始めました。

「或る『小倉日記』伝」(松本清張・角川文庫)

f:id:urftabibitosan:20201015135511j:image

史実に残っていない小倉在住時代の森鴎外の足跡を10年の歳月をかけてひたむきに調査する田上耕作とその母。病、貧乏、偏見、苦悩の中で、衰弱が進んでくる―――「或る『小倉日記』伝」」

自らの美貌と才気をもてあまし日々エキセントリックになるぬい。夫に俳句に見放され、「死」だけが彼女をむかえてくれた―――「菊枕」

昭和28年芥川賞を受けた表題作ほか、孤独との過酷な戦いをテーマにした巨匠の代表作品集。(裏表紙より)

 

母が小学校にあがるまで暮らした小倉。

自分は、清張作品に登場する小倉と、母がかつて暮らした小倉を、実際に訪れて検証する文章をいつか書いてみたいと思っています。

「清張の小倉、母の小倉」(仮)

 

北九州市小倉北区赤坂延命寺⚪番地」

母が時折口にしていた場所へ。

延命寺の境内で母も遊んだのでしょうか。

宮本武蔵の像があったと言っていましたが、それは何処か…。

沖まで流されそうになったのは赤坂海岸か…。

そしてミステリー的な要素も織り混ぜて。

母は4人兄弟でしたが、2番目、3番目の兄は?

なだらかな坂があり、坂下には貸し金で財を成した一家が住んでいたといいます。ある日、その家に強盗が入り、一家が惨殺されてしまう…。祖父は母に「貸し金などという業の深い仕事をしていたから報いが来たのだ」といった話をしたと言います。

そんな小倉探訪記をいつか書きたいと思っています。

きっかけは、先日出会った人がたまたま北九州出身だったことから。

仕事柄いろんな人に会います。

バブルガム・ブラザーズの曲で「オリオリオ~♪」とあるのは、北九州市電の「折尾、折尾~」からきている、あの二人はどちらかが北九州出身ですきっと。」

はてさてどうなのやら。

ブラザートム氏は、ハワイ。もう一人は高円寺みたいですけど。まぁ北九州ということにしておきましょう。

 

文庫本は他に2冊。

「偏狂者の系譜」

f:id:urftabibitosan:20201015143300j:image

「清張通史1 邪馬台国

f:id:urftabibitosan:20201015143338j:image

「清張通史」(wikipedia)

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E5%BC%B5%E9%80%9A%E5%8F%B2

喫緊の課題は、今年は無いと思っていた銃砲一斉検査です。

日本の銃規制は厳し過ぎる!