やっと週末、かと思ったらいきなり冬へ逆戻りしたかのような寒さ。夕方には雨がみぞれとなっていたのでした。
朝から頭痛、昼過ぎまで寝ていました。
親父がちょうど自分の歳の頃、脳出血を起こしているので自分も気をつけています。
えーと、その親父とまた喧嘩中な訳ですが。
新しいペンケース。
先日も書きましたが、もう弁当箱かというくらいの大きさです。
(表面)
(裏面)
夕方から小部屋にて食事、テレビ、読書など。
恋する小惑星
第10話 「雨ときどき占い」
ナナ:「私がやりたいのは天文でも地質でもなく気象です。気象のことをもっとよく知って人の役にたてるように義務感を持って部活に取り組みたいんです。」
「今の私たちの地学部で七海さんのやりたいことを叶えてあげられるでしょうか。」
ナナ:「実は3年前、親戚の家が洪水の被害を受けて幸い怪我はなかったんですけど、もうおばさんのあんな顔は見たくなくて」
「だから私、人の役にたてるようにならなきゃって…。」
気になった記事からです。
⚪「弁は剣より強し」の精神 日本にモノ申したい
みのもんた さん(司会者)
(3/13 毎日夕刊「人生は夕方から楽しくなる」)
かつての視聴率男が3月いっぱいでテレビから消える。
人気司会者はいささか地味な水道メーター会社の社長でもある。ずっと2足のわらじを履いてきた。壁にはギネス世界記録の認定証。
1週間で最も長くテレビの生番組に出演する司会者になったときのものらしい。
「……平日の帯で『おもいっきりテレビ』や『朝ズバッ!』をやっていただけじゃないもの。特番を1日に2本撮ったり。一睡もしなかったこともあったしね。」
「ケンミンSHOW」最終収録は8年前に亡くなった妻、靖子さんが好きだった衣装で臨んだ。……吹っ切れた表情のようでいて未練がにじんでいる。
「うーん、もうちょっとやりたいこと、あったはずなんだよね。…」
その昔、NHKドラマ「事件記者」にあこがれ、毎日新聞の記者になろうとした。
「筆記でダメでね。文化放送じゃアナウンサーだったけど、オレはしゃべる新聞記者だなんていきがったりして」
太平洋戦争のさなか、敗戦の前年に生まれた。ペンへの熱い思いの原点もその時代にある。
「兄貴が3歳で死んで、その通夜の席におやじの召集令状がきた。お袋、国を呪ったって言ってました。たった1枚の赤紙で出征ですから。そのとき、お袋のおなかの中にいたのが僕なの。」
87歳で昨夏の参院選に出馬した、みのもんたの名付け親の野末陳平さんの話に「へぇー、すごいなあ。僕は刀折れ、矢尽きたよ」
何だか気弱なことを口にするが、すぐにでも味のあるご隠居然として再登場しそうな気がしてならない。なにせ夜の銀座通いは続いているのだから。